耐久性に関する様々な議論(1/n: 経済的等価性、PACT、トン年会計、6.4条パブコメ)
sustainacraft Newsletter: 何もないよりマシなものが、どうして政策目標に何も寄与できないのか
株式会社sustainacraftのNewsletter(個別編)です。今回は、炭素貯留の耐久性に関わる議論を扱います。
当社は主にREDDやARRなど自然由来のプロジェクトを対象に扱っておりますが、自然由来のプロジェクトは長い炭素循環において、カーボンストレージとしては一時的です(ここで一時的というのは、化石燃料に蓄積される、もしくはそこから排出される場合の時間軸と比べて、恒久的なものではないという意味合いです)。このような一時的な炭素貯留の価値を、恒久的な炭素貯留に比べてどう定量化するべきなのか、ということは長く議論されてきています。
このシリーズでは、最近ケンブリッジ大学の研究者による”Realizing the social value of impermanent carbon credits”という論文で提案されたPACT(Permanent Additional Carbon Tonne)1というFrameworkを紹介しつつ、これまで提案されてきた考え方も整理していきたいと思います(*)。
少し長い記事になってしまいましたが、初めに、考えていただきたい重要な問いを記載しておきたいと思います。「気温上昇が累積CO2排出量に依存する」という中で、温暖化ピークより前に再放出される一時的な炭素貯留は、「温暖化ピーク」という観点では何の貢献もしません。しかし、一時的にでも排出削減もしくは吸収することは、何もしないよりは良いはずなのです。それでは、何もないよりマシなものが、どうして政策目標に何も寄与できないのでしょうか?
how can something that is better than nothing have nothing to offer a policy target?
(一つ目に紹介する文献[1]より抜粋)
(*) 本来はPACTまで1つの記事で紹介する予定でしたが、前置きだけで長くなってしまったので、いくつかに分けて公開することにしました。
ここで、「温暖化ピーク」とは、気温が最大になるタイミングであり、それは概ね温室効果ガスの排出のネットゼロが達成されるタイミングという意味でここでは記載しています。
参考文献
今回は、参照する文献が多いため、個別にもリンクがありますが、冒頭でまとめて紹介しておきます。
[1] A framework for assessing the climate value of temporary carbon storage (Carbon Market Watch, 2023 Sept): link
[2] Unpacking ton-year accounting (Carbon Plan), link
[3] Matthews, H.D., Zickfeld, K., Dickau, M. et al. Temporary nature-based carbon removal can lower peak warming in a well-below 2 °C scenario. Commun Earth Environ 3, 65 (2022). https://doi.org/10.1038/s43247-022-00391-z
[4] Accounting for Short-Term Durability in Carbon Offsetting (carbon-direct): link
[5] Groom, B., Venmans, F. The social value of offsets. Nature 619, 768–773 (2023). https://doi.org/10.1038/s41586-023-06153-x
[6] Zack Parisa, Eric Marland, Brent Sohngen et al. The Time Value of Carbon Storage, 13 October 2021, PREPRINT (Version 1) available at Research Square [https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-966946/v1]
[7] Matthews HD, Zickfeld K, Dickau M, et al (2022) Temporary nature-based carbon removal can lower peak warming in a well-below 2 °C scenario. Commun Earth Environ 3:65. https://doi.org/10.1038/s43247-022-00391-z
(1) はじめに: A framework for assessing the climate value of temporary carbon storage
(文献[1])
PACTの内容に入る前に、Carbon Market Watchが出版した文献[1]を参照しながら、前提となる考え方を紹介します。
CO₂排出の大気寿命
まず抑えるべきはカーボンサイクルの時間軸です。以下の通り、大気中に放出された炭素循環は非常に長い時間軸の中で大気、陸域、海域と移動します。初期濃度の大部分は、数十年から数世紀かけて生物圏と海洋に取り込まれ、最初の減少は急激で、最初の排出から数年から数十年の間に大きく取り込まれます。その後、海洋と大気が平衡化するにつれて、数世紀から数千年の間にプラトーになります。
気温への影響は累積CO₂排出量に依存する
次に抑えるべきは、気温上昇がそれまでの累積CO2排出量に依存する、という点です。IPCCも以下のように報告しています。
(Canadell et al., 2021, p. 678)
There is a near-linear relationship between cumulative CO₂ emissions and the increase in global mean surface air temperature (GSAT) caused by CO₂ over the course of this century for global warming levels up to at least 2°C relative to pre-industrial (high confidence). …
Mitigation requirements over this century for limiting maximum warming to specific levels can be quantified using a carbon budget that relates cumulative CO₂ emissions to global mean temperature increase (high confidence).
このことは、一時的な炭素貯留の価値は、その貯留期間が温暖化ピークが発生する時期よりも長ければ、気温のピークを低減することができるが、そうでない場合はピーク温暖化には貢献しない。つまり、一時的な炭素貯留がピーク温暖化に寄与できるかどうかは、一時的な炭素貯留の貯留期間と、ピーク温暖化の時期の関係に依存するということになります。
(恒久的な)化石CO₂排出に対する一時的な炭素貯留の価値づけ
上述で示したような時間軸の中で化石燃料からの排出と物理的に等価な炭素貯留の方法というのは確立されていません。このレポートでは、具体例として長期炭素除去のための調達ファンドであるフロンティアですら、一般的に1,000年の耐久性を購入活動の基準としているとしつつ、温暖化の影響を恒久的に回避できるわけではないとして、長期間の貯留と恒久的な貯留は物理的には等価ではないとしています。
このように物理的等価性のあるソリューションはない中で、一時的な炭素貯留の価値は、通常、炭素貯留の期待されるコストと便益に基づく、経済的等価性をもとに論じられています。「経済的等価性」は、経済的割引を用い、長期的な気候変動による損害よりも、短期的な気候変動による便益により重きを置く考え方です。この方法は、ある時点以降の気候変動による損害を無視する方法や、長期的な気候変動による損害に複利割引率を適用する方法があります。
前置きが長くなりましたが、この「経済的等価性」をどのように主張するのか、というのが本記事で紹介するメインのトピックになります。
GWP(Global Warming Potential: 地球温暖化係数)
少し脱線しますが、ここでおそらく皆さんにも馴染みのあるGWPの話をします。メタンは 二酸化炭素に比べて、温室効果が30倍にも上り、それに応じてCO2(e: equivalence)と二酸化炭素換算の値が使われていることはご存知かと思います。基本的な考え方としては、放射強制力の積算値(cumulative radiative forcing)について二酸化炭素との相対的な値を計算しており、以下のような数式により計算されます。
ここで問題になるのは、積算をする場合のtをどこまで取るのかということです。CO₂は気候に実質的に永続的な影響を与えますが、他のほとんどの温室効果ガスは大気寿命が一定で比較的短いため、GWPは2つの温室効果ガス間の物理的等価性を反映はしておらず、あくまである時間範囲の中での計算結果となります。具体的には、IPCCの第6次報告書において、メタンのGWPは20年、100年、500年でそれぞれ、82.5 (±25.8)、29.8 (±11)、10 (±3.8) という結果になっており、時間軸を長く取るとGWPは小さくなることがわかります2。
トン年会計: Tonne-year accounting
トン年会計3はGWPと同様に放射強制力ベースの考え方をもとにした、二酸化炭素の一時的貯留の価値づけ方法と位置付けられます。トン年会計については、それをベースにしたIFMの方法論がNCX社より提案されてましたので、これまでも以下の記事などで何度か扱ってきました。
GWP は非CO₂温室効果ガスとCO₂を比較する枠組みでしたが、トン年会計法は、一定期間における一時的炭素貯蔵と恒久的炭素貯蔵の価値を比較するための枠組みです。
トン年会計については、文献[1]では、GWPで実施しているようにある時間以降の損失を無視しているということに加えて、アルベドのような効果が考慮されていないと指摘しています。樹木や森林被覆は地表の反射率(アルベド)を低下させるため、炭素貯留とは別のメカニズムで気温が上がる方向の効果があること知られています。
例えばカナダの再植林のプロジェクトでは、アルベドを無視しているために落葉樹種では約16%、常緑樹種では 約45%の過剰クレジットが発生するという推定結果が報告されています(Badgley et al., 2023)。Science誌に掲載されたこの研究でも、高解像度空間分析を用いて特定された4億4,800万ヘクタールの乾燥地について、2100年までの炭素吸収ポテンシャルは323億トンであるが、そのうち226億トンはアルベドにより相殺されると報告されています。
トン年会計にもいくつかの考え方があり、代表的なものとしてMoura Costa法とLashof法があります。Moura Costa法は、過大に一時的な炭素貯留の価値が見積もられることが指摘されています。この手法の違いについては、Carbon Planによる文献[2]をご参照ください。
気温上昇による損害(Temperature-based Damages)に基づく考え方
経済的等価性を論じる上で、放射強制力ベースと並ぶ2つ目の考え方は、気温上昇による損害を計算するというアプローチです。文献[1]では、トン年会計よりも優れているとしつつも、割引率を用いることで長期的な損害を犠牲にして短期的な損失を減少するシナリオが選ばれる可能性があり、気温上昇を抑えるために最も重要である累積CO2排出量の抑制とは矛盾する可能性があると指摘されています。
このアプローチがトン年会計よりも優れているという主張は、文献[5]の”The social value of offsets”でも明確に書かれています。最初のページには、UNFCCCの6.4条メカニズムの監督機関に対して、以下のメッセージが送られています。
We are very sceptical of the tonne-year approach which generates equivalence of permanent and temporary emissions reductions in a manner that ignores a) the latest climate science; b) the welfare economic aspects of the problem of temporary reductions; c) the risks associated with temporary projects. In particular Section 4.4 onwards. In the attached paper we provide an explanation as to why the approach discussed is problematic and we then offer a useful alternative that solves these shortcomings. While it could be said that our approach introduces controversial issues concerning discount rates, the previous contributions which focus on the physical measures of carbon make implicit discounting assumptions and assumptions about damages.
気温上昇による損害を計算するというアプローチも複数の枠組みが提案されており、今回紹介するPACTもこの枠組みの一つですし、上記文献[5]で提案されているものもこの枠組みの一つとして位置付けられます。
気温上昇による損害については次回の記事で詳細に触れたいと思います。
補足: UNFCCCのパリ協定6.4メカニズムに基づく除去活動に対するパブコメ
実は文献[5]は、2022年10月に、UNFCCCのパリ協定6.4メカニズムに基づく除去活動に対するパブコメとして提出された文書です。パブコメとして提出されたものはこちらのページで確認することができます。
この時点で出されていたドラフトでは、一時的な炭素貯留に対する価値づけの定量化として、トン年会計の利用が想定されていました。パブコメの対象はトン年会計だけではなくここで出されているinformation note全体でしたが、結果的に多くの機関がトン年会計の利用に対して懸念を表明するコメントを提出しています。
例えば、文献[2]でも紹介したCarbon Planは、ここでもトン年会計を認めるべきではない、という強いコメントを出しています。以下のコメントに加え、トン年会計を認めることは、ボランタリークレジット市場における最近の決定(VCSやICVCMのCCPにおいてもトン年会計は外されています)と整合していないということを主張しています。
Tonne-year accounting should not be authorized under the Article 6.4 Mechanism because it is physically inconsistent with the Paris Agreement’s Article 2 goal of temperature stabilization.
この後、2023年にもパブコメが開かれ、例えばマイクロソフトもトン年会計については強い反対意見を表明しました。最終的に、6.4条のメカニズムからトン年会計は直近の検討からは外す、ということが決定されました(link)。
After considering options to account for the amounts of carbon stored, and the time it is stored, by activities that remove greenhouse gases from the atmosphere, the Supervisory Body agreed to focus on measures that address reversals on a tonne-for-tonne basis and drop tonne-year carbon accounting method from near-term considerations. In explaining the reasons for the decision, the Supervisory Body cited, among other, concerns within the scientific community regarding the underpinning methods and assumptions of the tonne-year carbon accounting method as well as insufficient confidence in its suitability for international applications.
補足: アルベドの影響(Temporary nature-based carbon removal can lower peak warming in a well-below 2 °C scenario)
文献[3]の”Temporary nature-based carbon removal can lower peak warming in a well-below 2 °C scenario”も、この記事と同じ文脈でNbSによる一時的な炭素吸収の貢献を定量的に評価した研究結果です。ここではアルベドの影響も含めて分析をされてますので、概要と合わせて紹介します。
この研究では、経度3.6度、緯度1.8度の空間分解能を持つ全球気候モデルを用いて、共通社会経済経路(SSP; Shared Socioeconomic Pathways)と放射強制力(radiative forcing)で定められる複数の気候緩和シナリオに対して、NbSによる一時的な炭素除去効果を検証しています。SSPは、緩和策と適応策の困難性の二軸で5つのシナリオ(SSP1からSSP5まで)が表されており、これに放射強制力で定められる気候安定化目標(例えば、2.6(W/m^2)はパリ合意の2度目標と等価、3.7は50%の確率で2度を超過、8.5は4.5度上昇)を合わせたシナリオフレームワークが広く使われています(例えば環境研のこちらのページをご参照ください)。
上記のSSPと放射強制力のシナリオフレームワークにおいて、SSP1-1.9およびSSP2-4.5の2つに対して検証されています。それぞれのシナリオの概要は以下の通りです。
SSP1-1.9: 非常に急速で野心的な将来の排出削減シナリオ。持続可能性の原則を中心とした社会経済条件と、世界的な気候緩和努力を急速に加速させ、2100年に世界の放射強制力を1.9W/m2まで低下させることに成功するというシナリオ。2020年にCO2排出量のピークを迎え、2056年には正味ゼロまで減少し、その後今世紀の残りの期間を通じて正味マイナスとなる。
SSP2-4.5: 比較的弱い努力を続けるシナリオ。世界の放射強制力が増加し続け、2100年には4.5W/m2で安定するような緩和努力を行う、現在の世界情勢に類似した中道的な将来の社会経済経路を反映している。世界のCO2排出量が2030-2040年頃にピークに達し、その後減少(しかし、今世紀後半はプラスのまま)する弱い気候緩和シナリオ。
研究の結果としては、以下のグラフが最も重要と考えます。このグラフが示していることは次のとおりです。これは本記事の冒頭で紹介している「気温への影響は累積CO₂排出量に依存する」ということと整合しています。
NbSによる炭素貯留が一時的なものであり、貯留された炭素が今世紀後半に大気中に戻される場合であっても4、気候変動に恩恵をもたらす。
しかし、ピーク温暖化レベルの低下は、化石燃料のCO2排出量が正味ゼロまで急速に減少し、その結果、NbSで貯留された炭素が自然界に隔離されている期間中に地球の気温がピークに達し、低下するというシナリオ(SSP1-1.9)でのみ実現する。
将来の緩和努力にこのレベルの厳しさがない場合(SSP2-4.5)、NbSに基づく一時的な炭素貯留は、ピーク温暖化に影響を与えず、ある温暖化レベルの発生を遅らせるだけで、長期的な気候ベネフィットはない。
アルベドの影響については、下図でわかりやすく図示されています。植林による炭素蓄積量の増大は気温上昇を抑えることに貢献していますが、その貢献度合いの半分程度がアルベドの影響によって打ち消されているという結果が示されています。
how can something that is better than nothing have nothing to offer a policy target?
以上で、一時的な炭素貯留の価値づけに関する2つの考え方を紹介しました。ここで、冒頭の問いを考えたいと思います。
文献[1]においては、「費用対効果(cost effectiveness)」パラダイムで考えるのか、「費用便益最適化(cost-benefit optimization)」パラダイムで考えるのかに依存するとしています。前者では、パリ協定交渉のような政治的プロセスによって、産業革命以前の気温を上回る温暖化の最大許容レベルといった政策目標が決定されます。一方で、後者では、気候緩和のコストと便益の両方を定量化し、これらの計算を互いに比較することで、経済的に「最適」な気候緩和と地球温暖化のレベルを特定しようとするものであり、場合によっては最適なシナリオは気温が3度上昇といった結論が得られている研究もあります。
つまり、問いに対する答えは、「費用便益最適化」パラダイムの下では、全ての一時的な炭素貯留はゼロではない便益を持つが、最小閾値以下(つまり温暖化ピーク前に炭素が放出される)の耐久性を持つ炭素貯留は、気温目標達成に役立たないため、費用対効果のパラダイムでは価値がないということになります。
以上を踏まえて、自然由来のカーボンクレジットの利用はどう考えたらいいでしょうか。上述の通り、最小閾値以下の耐久性である場合には、気温目標達成には役立ちません。しかし、少なくとも費用便益最適化の考えのもとでは、気温上昇によって生じる損害を抑制することに貢献しています。
上記で説明したようなことが、SBTiにおけるカーボンクレジットの利用としてBVCM(Beyond Value Chain Mitigation)という考え方が提唱されたり、恒久的な排出の削減とカーボンクレジットによるオフセットは等価ではない、ということの元となっていると考えます。非常に困難なことに、考え方(上記の2つのパラダイム)によって、一時的炭素貯留の価値は異なりますし、耐久性に関する最小閾値は(温暖化ピークがいつなのかに依存するため)事前には誰もわからず、かつ、単独のプレイヤー(国や企業)がコントロールできるものでもありません。
自社でのカーボンクレジットの活用も含めた脱炭素の方針を決めていく上で、新たなガイダンスが出るたびに振り回されないためには、可能な範囲でこういった元となる議論自体を追っていく必要があるのではと思います。
今回は耐久性に関する前置きの話でした。次回は最近提案されたPACT Frameworkの紹介をいたします。
以上、sustainacraftのNewsletter (個別編)でした。このNewsletterでは、隔週から月1回程度の頻度でNbSに関する日本語での情報発信をしていく予定です。
当社の会社概要資料はこちらで公開しておりますので、ご参照ください。
Disclaimers:
This newsletter is not financial advice. So do your own research and due diligence.
この領域の方は、PACTと聞くとPathfinder Frameworkを定めるPACTのことを思い浮かべる方が多いかと思いますが、今回の件はこのPACTとは関係ありません。
上述の30倍というのは、時間軸を100年にした場合の結果です。
Tonne-year accountingを日本語でどう表現するべきか、参考になる文献が見つかっておりません。ここでは日本語で「トン年会計」と記載しておりますが、一般的な表現ではない可能性にご留意ください。
グラフ中のAll storage temporaryや50% storage temporaryに相当します。