株式会社sustainacraftのニュースレターです。本記事は通常のVCM updatesやMethodology updatesとは別の個別編として、一般公開しています。
本記事では、オックスフォード大学が先月新たに発表した「The Oxford Principles for Responsible Engagement with Article 6」(以下、Article 6原則)について、その背景や特徴、そして企業や政府がパリ協定6条(以下、6条、またはArticle 6)の市場メカニズムを活用する上でどのような意味を持つのかを解説します。
6条2項メカニズムであるJCMについては、昨今多くの企業がGX/ETSなどの文脈で注目されていますが、今回のArticle 6原則は、二国間での柔軟な取り決めが可能な6条2項(Article 6.2)に対しても、高いレベルでの厳格性が設定されています。
お知らせ
Regrow社およびATOA Carbon社と提携し、JCM向けモデルベースAWD方法論の共同開発に着手 (link)
二国間クレジット制度(JCM)は、日本のNDC達成の貢献が期待されており、2040年までに累計で2億tCO2eのクレジット発行を日本政府としても目指しています。その中で、AWDは、特に東南アジア諸国において大きなGHG削減ポテンシャルを持つ農業活動の一つです。2025年2月には、フィリピンにおいてJCM初のAWD方法論が正式承認され、今後同様のプロジェクト展開が期待されています。
この度、AWD活動の効果定量化に向けて有望視される生物地球化学モデル「DNDC」について独占的にライセンスを保有するRegrow社と、VCSにおける最新のAWD方法論「VM0051」の提案者であるATOA社と、当社の3社共同で、モデルベースのAWD方法論の共同開発に着手しました1。
本取り組みでは、主に東南アジア諸国(特にJCMパートナーシップ締結国)において、モデルベース定量化の推進にご協力いただける現地パートナーを募集しています。該当地域で稲作事業を実施されている企業、またはAWDによるクレジット創出を推進されている、もしくは、ご関心のある企業の方は、ぜひpress[at]sustainacraft.comまでご連絡ください。
詳細はこちらをご確認ください。
はじめに
先月のニュースレターでは、パリ協定6条4項の監督機関会議(SBM)で、クレジットのベースライン設定やリーケージの取り扱いを含む、いくつかの重要なガイダンスが採択されたことをご紹介しました。これらのルールは、6条4項メカニズムの運用に関するハイレベルなルールセットとなっており、市場の透明性と十全性を高めるための基礎となります。
しかし、これらの国連主導のルールは、全ての締約国の合意を取り付ける必要があるため、しばしば「最低限の要件(”floor”)」であると指摘されています。つまり、気候変動対策の野心を引き上げる「理想的な目標(”ceiling”)」としては、必ずしも十分ではないという懸念です(記事例)。また、2国間での取り決めが基礎となる6条2項では、国連監督下にある6条4項と比較してより自由度が高く、その分グリーンウォッシュに繋がるリスクが高いことも懸念されています。
このような背景から、オックスフォード大学の研究者グループは、6条をより信頼性が高く、野心的な形で活用するためのガイダンスとして、新たなArticle 6原則を発表しました。これは、自主的炭素市場(VCM)で広く知られるようになった「オックスフォード原則(The Oxford Principles for Net-Zero Aligned Carbon Offsetting, 2024 revised。以下、オフセット原則)」を、国家間の市場メカニズムである6条の文脈に特化・発展させたものです。オフセット原則が企業のネットゼロ目標達成に向けたクレジット利用のあり方を示したのに対し、Article 6原則は、政府や企業が6条市場に参加する際の責任ある行動規範の”ceiling”を提示することを目指しています。
本稿では、まず基準となるオフセット原則を概観した上で、新たに発表されたArticle 6原則の具体的な内容と、その中でも特に注目すべき要件について詳しく解説していきます。
オフセット原則とは
Article 6原則を理解する上で、まずその基礎となるオフセット原則について簡単に振り返ります。2020年に発表され、2024年に改訂されたこの原則は、企業や組織が炭素クレジットをネットゼロ戦略に組み込む際のガイドラインとして、VCMにおける議論のスタンダードを築いてきました。改訂の内容については、以下のニュースレターでも触れています。
オフセット原則では4つの基準を設定しています:
自社排出量の削減を優先する
クレジット購入に頼る前に、自社のバリューチェーン全体で可能な限りの排出削減努力を行うことを最優先とする。
利用するクレジットは、追加性(その投資がなければ実現しなかったこと)が証明され、測定・検証可能で、社会や環境に悪影響を及ぼさないなど、厳格な環境十全性の基準を満たす必要がある。
自社の排出量、削減目標、そして利用するクレジットの種類や選定プロセスについて、透明性の高い情報開示を行う 。
炭素除去(Removal)への移行
排出削減(Reduction)クレジットから、大気中のCO2を直接取り除く炭素除去クレジットの利用へ移行する。
長期的な貯留(Long-lived storage)への移行
短期間でCO2が再放出されるリスクのあるプロジェクトから、数百年以上にわたり安定的に炭素を固定できるプロジェクト(例:バイオ炭、DACCS)へ移行する。
ネットゼロに整合した市場形成を支援する:
質の高い除去クレジット市場は未成熟なため、長期契約などを通じてその発展を積極的に支援する。
自社のネットゼロ目標達成のためのオフセットとは別に、追加的な資金を提供して気候変動対策プロジェクトへ貢献すること(Beyond Value Chain Mitigation)も推奨される。
これらの原則は、クレジットの利用が安易な免罪符となることを防ぎ、真に世界のネットゼロ移行に貢献するための行動を促すものとして、多くの企業やイニシアチブに参照されています。
上記4点は、全て最近のSBTi企業ネットゼロ基準のVersion2での改訂内容とも整合しています。具体的には、除去に関する中間目標の設定や、その中でのInterim Removal Factorの設定などです。詳細は、以前のこちらのセミナー内容をご参照ください。
Article 6原則の概要
今回新たに発表されたArticle 6原則は、オフセット原則の考え方を土台としながら、6条という国家間のメカニズム特有の課題に対応するために設計されています。オフセット原則の4つ基準と類似の内容が言及されているのは”1. 自社排出量の削減を優先する”についてで、それ以外の部分はArticle 6という国際的な取引に関わるルールに焦点が当てられています。
また特徴的なのは、国連で合意された公式ルールを「最低基準(“floor”)」と捉え、その上で環境十全性や透明性、公平性を担保するための「理想的な基準(“ceiling”)」を示している点です。これは準拠が必須のルールではなく、6条の活用を検討する政府や企業が自主的に採用すべきベストプラクティス(努力目標)という位置づけです。
特に、二国間での柔軟な取り決めが可能な6条2項(Article 6.2)に対して、高いレベルでの厳格性を設定している点が重要です。日本ではJCMが高い関心を集めていますが、JCMではプロジェクトタイプごとに統一的な方法論を用いるのではなく、締結国ごと、プロジェクトタイプごとに方法論を策定するのが特徴です。そのため、ボランタリークレジット方法論などと比較しても自由度が高く、プロジェクトごとの差も大きくなる可能性があります。そのため、Article 6原則に照らし合わせるとどうか、という視点は一つの評価軸として有用かもしれません。
Article 6原則の特徴的な要件
Article 6原則は、以下の3つの原則を設定しています:
Principle One: パリ協定に整合した緩和アウトカムの利用(“Paris-Aligned use of mitigation outcomes“)
Principle Two: 質の高い緩和アウトカムの生成(“Generation of high-quality mitigation outcomes“)
Principle Three: 頑健な算定と透明性(“Robust accounting and transparency in engaging in Article 6“)
これら3つの原則は独立なものではなく、互いに関連し合っています。
それぞれの原則にさらに細かい要件が設定されています。以下の表にその概要と、オフセット原則との関連についてまとめました。
以下では、この表の中でもオフセット原則との違いが明瞭かつ特徴的と思われるいくつかの点について紹介します。
Principle One: パリ協定に整合した緩和アウトカムの利用
1.A.1 野心の向上と緩和の抑止の回避
6条の利用は、世界全体の排出削減の取り組みを加速させるべきであり、参加国(購入国・ホスト国)が自国内での排出削減努力を遅らせる口実となってはならないとしています。6条メカニズムは、既存の取り組みを置き換えるのではなく、それを超える追加的な行動を促すために使われるべきだという考え方が示されています。
オフセット原則も、クレジット購入の前に自社の排出削減を優先するよう求めています。Article 6原則は、この考え方を国家レベルに適用し、6条の利用が国の気候変動政策の野心を削ぐ「緩和の抑止(“mitigation deterrence“)」につながるリスクを明確に指摘している点が特徴です。
1.A.3 ホスト国と購入者の間での緩和アウトカムの共有
プロジェクトから生まれた排出削減の成果(ITMOs)は、購入者が100%取得するのではなく、その一部をホスト国とシェアすべきだと提案しています。例えば、発行されたクレジットの一部を購入国に移転せず、ホスト国のNDC達成のために利用する、といった方法が考えられます。これにより、資金を提供する購入国だけでなく、プロジェクトを受け入れるホスト国にも直接的な緩和上の利益がもたらされ、公平性が確保されます。この要件は6条の国家間取引に特有のものであり、オフセット原則には対応するものがありません。
1.A.4 世界的な緩和と適応への貢献の確保(OMGE/SOP)
6.4条で義務付けられている2つの貢献メカニズムを、6.2条の取引においても自主的に適用することを強く推奨しています。
OMGE(Overall Mitigation in Global Emissions): 発行されたクレジットの一定割合(最低2%)を償却せず無効化することで、世界全体の排出量を確実に削減するための仕組み
SOP(Share of Proceeds): 発行されたクレジットの一定割合(最低5%)を、気候変動の悪影響に対して脆弱な途上国を支援する適応基金へ拠出する仕組み
1.B.2 無条件の気候緩和を超える
6条の対象となるプロジェクトは、ホスト国が国際的な支援なしに無条件で達成を約束しているNDC目標を超える、追加的な排出削減を生み出すものでなければならない、としています。つまり、いずれにせよ達成される予定だった削減量を、クレジットとして販売することを防ぐ狙いがあります。
これは追加性の考え方を、より厳格に国家レベルのコミットメントに適用したものです。プロジェクト単位の追加性を求めるオフセット原則に対し、ホスト国の国としての約束を基準とすることで、より高いレベルの追加性を要求しています。
Principle Two: 質の高い緩和アウトカムの生成
2.A.1 追加性(Additionality)
プロジェクトは、クレジット収入がなければ実施されなかったと証明できる、厳格な追加性の基準を満たす必要があります。具体的には、クレジットがなければ実施されなかった確率が90%以上(IPCCの基準の”Very likely”)であることを示すことを求めています。
2.A.3 緩和アウトカムの頑健な定量化
排出削減・除去量の算定は、科学的根拠に基づき、保守的なベースラインを用いて行われる必要があります2。また、プロジェクト境界外への排出量のリーケージや、貯留した炭素が再放出されるリスク(非永続性)にも、バッファークレジットの確保などの頑健な手法で対処することが求められます。
定量化の頑健性を求める点はオフセット基準と共通ですが、Article 6原則は、6.4条で開発されたベースライン設定(下方修正など)や非永続性リスク評価のツールを具体的な参照先として挙げており、より規範的です。
2.A.6 ITMOsへの国際気候資金の利用防止
公的な気候資金と市場メカニズムの両方から資金提供を受ける活動では、市場からの資金提供分に比例してのみクレジットを発行すべきである としています。Article 6による市場メカニズムと、ODAなどの公的気候資金との資金源の重複を避けるための規定です。公的資金の流れに関するこの規定は、国家と国際機関が関わる6条特有の論点であり、民間企業の行動を主眼とするオフセット原則には含まれていません。
Principle Three: 頑健な算定と透明性
3.A.1-3.A.5 Article 6.2を利用する国の制度とプロセス
6.2条の下での活動に参加する国は、ITMOの創出・移転・利用を適切に管理・追跡するための国内制度を整備すべきだとしています。具体的には、GHGインベントリの整備(計上すべきGHGの種類など)、NDCの明確化、ITMOの取引を承認する公式なプロセスの構築、そして二重計上を防ぐための相当調整を追跡するレジストリの運用などが含まれます。
3.B.1/3.B.2 緩和アウトカムの利用と生成に関する透明性
ホスト国、購入国、およびその他の関係者は、ITMOの生成、移転、利用に関する情報を包括的かつタイムリーに一般公開しなければならないと定めています。どのプロジェクトからどれだけのITMOが生まれ、誰に、どのような目的で利用され、相当調整がどのように適用されたかを、第三者が検証できる形で示すことが求められます。
以上が今月のニュースレター(個別編)でした。
当社の会社概要資料はこちらで公開しておりますので、ご参照ください。
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VM0051については、以下の過去記事を参照ください。